第91回全国高等学校野球選手権大会(だい91かいぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)は、2009年8月8日から8月24日までの17日間(雨で2日順延)にわたって阪神甲子園球場で行われた全国高等学校野球選手権大会である。
概要
南北北海道、東西東京都と、各府県の代表計49校によって48試合が行われた。また、前回大会は北京オリンピック開催により日程や組み合わせの決定方式も変則的になっていたが、例年の日程に戻る。
この大会よりベースコーチにヘルメットの着用が義務化される。
開会式の入場行進先導役は宇治山田(旧制三重県立第四中学校)、始球式は広島国泰寺(旧制広島県立広島第一中学校)に選定された。これは1915年(第1回)の出場10校中、両校のみが、それ以降の全国大会出場から遠ざかっていたためである。
初出場校は13校。そのうち、長野日大と華陵は選抜高等学校野球大会に1度出場経験があり、この2校を除いた11校は春夏通じて初出場となる。
開会式には皇太子徳仁親王(今上天皇)が、1988年(当時は立太子前)の第70回以来、21年ぶりに台覧された。
帝京の1年生、伊藤拓郎が2回戦(初戦)の対敦賀気比戦で、甲子園の高校1年生史上最速の147km/hを記録した。
立正大淞南は、大会期間中に新型インフルエンザに襲われ、3回戦では14人しかベンチ入り出来ず、勝利はしたが、続く準々決勝では更に1人欠いて13人しかベンチ入り出来ずに敗退した。その他のチームにおいても罹患者が続出し、本大会は新型インフルエンザという見えない敵との戦いでもあった。
日本文理が新潟県勢では春夏通じて初となる、ベスト4および決勝戦進出を決めた。これにより本大会終了地点で春夏通じて甲子園で決勝進出がないのは、山形・富山・山梨・島根・宮崎のみになった。さらにこれまでの最高がベスト8だった新潟県勢がベスト4以上に進出したことにより、全47都道府県の代表が、春夏どちらかでベスト4以上に進出経験があることとなった。
この大会で関西学院が1939年(第25回)の関西学院中時代以来となる70年ぶりに出場したが、これは第1回目大会から今まで歴代の学校の出場記録が残る限りで2000年(第82回)の札幌南の61年ぶりを更新しブランク最長記録となった。
日程
- 4月17日 - 運営委員会で本大会の日程を決定
- 6月20日 - 南北海道、沖縄を皮切りに地方大会が開始
- 8月1日 - 大阪代表が決まり、全代表校が決定(当初は7月30日に決まる予定だったが、雨により順延された)
- 8月2日 - 甲子園球場での練習開始(5日まで)
- 8月5日 - グランキューブ大阪で3回戦までの組み合わせ抽選会実施
- 8月8日 - 開幕。開会式。
- 8月9日 - 第1試合、如水館(広島)対高知(高知)は3回終了後に試合中断30分の後、台風9号の影響で降雨ノーゲームとなる。なお第2試合以降の3試合も中止、全試合翌日へ順延。翌日以降の試合日程も全て1日ずつ順延された。
- 8月10日 - 第1試合の如水館対高知は5回表途中で中断30分後、またも降雨ノーゲームとなる。第2試合以降の3試合も中止、全試合翌8月11日へ順延。但し第2試合を第1試合、第3試合を第2試合、第4試合を第3試合にそれぞれ1試合ずつ繰り上げ、如水館対高知を第4試合に変更。翌日以降の日程は変わらず全て1日ずつ順延される。同一試合が2日連続ノーゲームは大会史上初めて。また全試合が2日続けて順延されたのは、1975年(第57回)の決勝戦、習志野(千葉)対新居浜商(愛媛)以来34年ぶりである。
- 8月24日 - 決勝戦は中京大中京(愛知)が日本文理(新潟)を10-9で降し、1966年(第48回、当時 中京商の春夏連覇)以来43年ぶり、最多となる7度目の優勝を果たした。一方、日本文理は新潟県勢で春夏通じて初の決勝進出であり、九回表にに6点差を1点差に縮める猛攻を見せつけた。
代表校
組み合わせ・試合結果
1回戦 - 3回戦
準々決勝
準決勝
決勝
8月24日
大会本塁打
記録
チーム記録
個人記録
その他の主な出場選手
脚注
注釈
出典
関連項目
- 第39回明治神宮野球大会
- 第81回選抜高等学校野球大会
外部リンク
- 第91回全国高等学校野球選手権大会
- 第91回全国高等学校野球選手権大会|公益財団法人日本高等学校野球連盟




