フィリップ・ヴィルヘルム・アウグスト・フォン・デア・プファルツ(Philipp Wilhelm August von der Pfalz, 1668年11月19日 - 1693年4月5日)は、ドイツのプファルツ=ノイブルク家の公子。

生涯

プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムとその妻でヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世の娘であるエリーザベト・アマーリアの間の第13子、八男として生まれた。フィリップ・ヴィルヘルムはウィーンに住む長姉の神聖ローマ皇后エレオノーレ・マグダレーネと、ブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)に住む兄のブレスラウ司教フランツ・ルートヴィヒの許を訪れた後、1689年にイタリアへのグランドツアーに赴いている。

フィリップ・ヴィルヘルムは聖職者ではなく世俗の世界で身を立てようと考え、軍人になった。

1690年10月29日にザクセン=ラウエンブルク公ユリウス・フランツの娘アンナ・マリア・フランツィスカと結婚した。2人の結婚式は、フィリップ・ヴィルヘルムの父選帝侯が亡くなったために延期され、簡素に行われた。夫妻は2人の娘をもうけた。

  • レオポルディーネ・エレオノーレ(1691年 - 1693年)
  • マリア・アンナ・カロリーネ(1693年 - 1751年) - 1719年、バイエルン公子フェルディナントと結婚

しかし、結婚の3年後に「悪性の熱病」に冒されてわずか1週間後に亡くなり、ライヒシュタットの教区教会に埋葬された。24歳没、心臓だけは抜き取られ、故郷のノイブルク城内教会に安置された。

フィリップ・ヴィルヘルムの死の4年後、未亡人アンナ・マリアはトスカーナ大公ジャン・ガストーネ・デ・メディチと再婚した。


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『フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 最終日本紀行 自安政六年至文久二年』 青羽古書店 AOBANE Antiquarian