ゴールドウェイ(Gold Way、1981年5月8日 ‐ 不明)は日本の競走馬。主な勝ち鞍に1984年のきさらぎ賞、1985年の毎日王冠があるほか、1984年の菊花賞ではシンボリルドルフの2着と好走した。
経歴
競走馬時代
1981年5月8日、北海道静内町にて産まれる。生産者は小原孝夫。栗東の日迫良一厩舎に入厩後、1983年7月の新馬戦(小倉芝1000m)にて鞍上に村本善之を迎え初出走し、1番人気に応えてデビュー勝ちする。その後は好走するも勝ち切れず、12月3日のかえで賞(400万下)で待望の2勝目を挙げる。その後、格上挑戦となったもみじ賞は2番人気で3着、清水英次が手綱を取った中京3歳ステークスでも1番人気に推されたが3着に敗れた。この年は下半期だけで9戦2勝の成績だった。
1984年、前年最終戦のシクラメン賞(800万下)で2着に入り賞金を増やしていたゴールドウェイは、まだ1400万条件の身ではあったが重賞のシンザン記念に出走した。このレースで2着に入ると、続くきさらぎ賞を田島良保騎乗で制して重賞初制覇を遂げ、一躍クラシック戦線に名乗りを挙げた。前哨戦にはスプリングステークスを選ぶも7着となり、デビュー12戦目にして初めて掲示板を外した。続く皐月賞でも14着に終わる。なお、スプリングステークスから皐月賞にかけては美浦に滞在していたが現地の水道水が合わず、ミネラルウォーターを飲んでいたという。
休養を挟んで秋の神戸新聞杯、京都新聞杯でも着外となり、南井克巳騎乗で迎えた菊花賞では7番人気となっていたが、このレースで史上初の無敗の三冠を達成した優勝馬シンボリルドルフを最後の直線で猛然と追い上げ、3/4馬身差の2着と好走する。しかし、余勢を駆って出走した次走の阪神大賞典では1番人気を裏切り6着に沈んだ。終わってみれば、この年は8戦して2着こそ2度あったものの勝利はきさらぎ賞の1勝のみであった。
1985年は2番人気に推された日経新春杯から始動したが3着。続くサンケイ大阪杯、天皇賞・春で立て続けに掲示板を外して春シーズンを終えた。休養明け初戦となった秋の毎日王冠を南井克巳とのコンビで制して重賞2勝目を挙げたが、次走の天皇賞(秋)では11着となり、年間5戦1勝で古馬初年度を終えた。
1986年は2月の京都記念で12着に敗れた後に長期休養に入り、翌1987年の宝塚記念で復帰したが最下位に終わり、次戦の高松宮杯10着を最後に現役を引退した。通算成績は25戦4勝(重賞2勝)。
通算勝利数は4勝と少なかったが重賞を2勝し、最後の勝利となった毎日王冠では5番人気だった。他にも菊花賞は7番人気で2着、シンザン記念は5番人気で2着など中位人気ながら上位に入るも少なくなかった一方で、1番人気で3着だった中京3歳ステークスや6着だった阪神大賞典、2番人気で3着だった日経新春杯など上位人気でも勝ち切れない時もあるなど、馬券的には難しい一面もあった。
引退後
引退後は種牡馬となり、96頭の産駒が血統登録された。代表産駒は中央で5勝を上げ、1995年の天皇賞・春にも出走したサンライトウェイ。1993年8月に用途変更となったあとの動向は不明である。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comに基づく。
血統表
- 牝系はセントライト、トサミドリの母として知られるフリッパンシーに辿り着く。
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ



